長崎港を知る

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長崎港450年の歴史

長崎港は450年のあいだ、長崎県民、市民とともにあゆみつづけてきました。

長崎開港450周年記念事業 長崎港450年の歴史

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長崎開港450周年記念事業

長崎開港450周年を考える ―開港500周年の未来にむかって―

 元亀(げんき)2年(1571)ポルトガル貿易船の入港とともに、長崎の町建ても始まりました。「長崎」とは、長崎市役所から旧県庁にかけての高みが海に突き出ており、この長い崎(みさき)のことをいいます。初めに、長崎の先端部に島原町・大村町・平戸町・横瀬浦町など6つの町ができました。町名からして長崎県域の人たち、おそらくキリシタンが移り住んだことが想像できます。旧県庁のところには、イエズス会の本部と岬の教会がありました。

長崎開港から江戸時代にかけての歴史は、とりわけ重要かつ特異であり、簡単には表現できませんが、図式化してみましょう。

ポルトガル貿易とキリシタン文化の時代(日本にては長崎がローマなり)
キリスト教禁教と弾圧
江戸幕府の「鎖国」政策により国際貿易都市長崎の成立

※鎖国という言葉は長崎の蘭学者志筑(しづき)忠雄がつくったもの

オランダ貿易を独占 出島オランダ商館はヨーロッパに開かれた唯一の窓
唐人(とうじん)(中国商人)貿易の繁栄(オランダ貿易のおよそ2倍の取り引き)
唐人屋敷に居住

嘉永6年(1853)ペリー艦隊、浦賀に来航 ⇒ 日米和親条約締結 (下田で)日露和親条約締結

長崎で、日英和親条約、日蘭和親条約など締結
オランダの援助で長崎海軍伝習所設立
海軍伝習所のプロジェクト:長崎製鉄所 ⇒(のち)三菱長崎造船所に発展
大浦居留地(きょりゅうち)造成
イギリス・アメリカ・プロシア商人等の商社と、いわゆる居留地貿易

 明治維新後、江戸時代に長崎が持っていた貿易独占という特権はなくなりましたが、中国大陸に一番近い拠点港として賑わいは続きました。大正12年(1923)に就航した長崎丸・上海丸は長崎・上海間を26時間で結ぶ高速船で、この日華連絡船が近代長崎港繁栄の頂点に位置しました。しかし、第2次世界大戦末期で断絶したことは周知のとおりです。
 昭和45年(1970)には、長崎開港400年の記念行事が、オリエント学者でもある三笠宮崇(たか)仁(ひと)親王殿下を実行委員会名誉総裁に迎え、盛大に実施されました。当時、三菱長崎造船所は世界トップの造船所に成長し、また長崎港は以西底引網漁業の基地でもありました。

―それから50年、
もはや長崎に与えられた「天の時」「地の利」は小さくなり、今後は歴史に育(はぐく)まれた「人の和」(智恵)を生かす以外にありません。
江戸時代の18世紀後半~19世紀前半、吉雄耕牛・本木良永・志筑忠雄らに代表される長崎のオランダ通詞・蘭学者は、当時の日本で最高の知的レベルにありました。
これからの50年、長崎開港500年に向けて、長崎が好きな若い人たちの自由・奇抜な発想と行動を心底より期待しています。

(長崎県長崎学アドバイザー 本馬貞夫)

長崎港で楽しむ